地域とともに歩んできた、
建築・土木会社
───上之段さんは「これからの社会は『モノの時代』から『風の時代』になっていく」とおっしゃっていました。その真意をお聞かせいただけますか。
今は、ただモノを所有するだけでなく、情報や人とのつながり、コミュニケーションがより重要になってきていると感じています。とみやさんのように、メーカーや職人との幅広いネットワークがある企業は、まさに地域や業界のハブとして大きな役割を担える存在だと思います。

───上之段さんは「これからの社会は『モノの時代』から『風の時代』になっていく」とおっしゃっていました。その真意をお聞かせいただけますか。
今は、ただモノを所有するだけでなく、情報や人とのつながり、コミュニケーションがより重要になってきていると感じています。とみやさんのように、メーカーや職人との幅広いネットワークがある企業は、まさに地域や業界のハブとして大きな役割を担える存在だと思います。
───上之段建設さんは、とみやさんとは長いお付き合いだと伺っています。御社のご紹介と、とみやさんとの関わりについても教えていただけますか。
うちはもともと、私の父が大工として独立したのが始まりなんです。私が生まれた年に親父が独立して、仲間を集めて仕事をするようになりました。10年ほどで請負工事業に手を広げ、徐々に組織化を進め、昭和52年には株式会社化しました。
私は大学卒業後、東京の建設会社で一級建築士の資格を取得し、親父から「鹿屋に戻ってこい」と呼ばれて会社に入りました。ただ、父と一緒に働けたのは半年ほどで、その後は兄が2代目社長として会社を引っ張ってくれました。兄は土木の専門なので、土木工事も手がけるようになり、今の売上は建築と土木が2:1くらいです。私は令和4年から3代目社長を務めていますが、まだまだ学ぶことが多いです。
───とみやさんは、公私ともに親しい関係だとお聞きしました。
そうですね。兄が会長になってからは、とみやの高木会長とゴルフに行ったり、公私ともに親しくさせていただいています。
とみやさんとは会社としても長くお付き合いがあり、今の店舗ができる前は寿(ことぶき)の一里山(いちりやま)にあったんですが、平成12年に今の札元(ふだもと)に移転された時の建築工事も当社が担当しました。
今の事務所へ向かう道中にとみやさんがあるので、立地的にもすごく便利なんですよ。今でも工具や作業服、作業靴などをよく購入しています。
───とみやさんの商品について、どのような印象をお持ちですか。
私たち技術屋にとって、道具は仕事の要です。とみやさんの扱う商品はどれもプロ仕様で、安心して使えるんです。ホームセンターにも安い商品はたくさんありますが、プロの現場で本当に使える道具を買いたいなら、やっぱりとみやさんが一番信頼できる。地域に根差したプロショップとして、ずっと私たち職人を支えてくれている存在です。
───鹿屋の地域課題にも積極的に関わっておられるそうですね。
はい。今、鹿屋市では官民連携で「空き家アドバイザー」という取り組みが進んでいまして、私もその一員として関わっています。
鹿屋市には約48,000世帯が暮らしているのですが、そのうち3,800〜7,000軒が空き家と言われています。空き家をどう活用するかは大きな地域課題でもあり、まちづくりの可能性でもあります。
アドバイザーには建築関係だけでなく、会計士や弁護士、不動産鑑定士など各分野の専門家が集まっています。専門的な知識を生かして、買い手の立場に立った価格設定や利活用を提案するのが大切だと思います。
いずれは私自身も、古民家を活用して海辺でカフェやゲストハウスをやってみたい、なんて夢も持っていますよ。
───これからのとみやさんに期待すること、お願いしたいことはありますか。
期待していることは大きく二つあります。
一つは、地域におけるコミュニケーションの促進です。とみやさんは地域の職人やメーカーさんとの幅広いつながりをお持ちですから、そうしたネットワークを生かして業種をまたいだ情報交換やコミュニケーションの拠点になってほしいですね。
───例えば、どのような情報交換やつながりが考えられるでしょうか。
たとえば、住宅の取り壊しで出てきた古い部材を「欲しい人がいれば持っていっていいよ」と発信して、古民家改修業者やDIY好きな地域住民に提供するといったこと。
あるいは高価だけど年に数回しか使わないような機械を、A社とB社が相談してシェアする仕組み。
新商品やサービスの情報も、チラシや営業をかけるのではなくコミュニティ内で共有することで、経費をかけず効率的にPRできると思います。
今はただモノを売り買いするだけでなく、情報を柔軟にやり取りする時代ですから、そうした「業界コミュニティ」をとみやさんが中心となってつくっていってほしいですね。
───もう一つの期待は何でしょうか。
もう一つは、刃物屋としての原点を生かした道具の研ぎや修繕サービスの充実です。
とみやさんの始まりは刃物屋さんで、昔は大工のノコギリやカンナなどの研ぎや目立ても受けていたと聞きます。現場で使う道具は、使っているうちにどうしても消耗してしまう。
例えばコンクリートを砕く「ハツリ機」のノミも、使ううちに丸くなってしまって効率が落ちます。昔はとみやさんがそれを回収して、焼き直して復活させていたんです。今でも現場ではそういう修繕のニーズがあるはずなので、ぜひそういったサービスも強化してもらいたいですね。
───とみやさんは、長年現場の職人たちと語り合い、商品の幅を広げ、地域の変化に柔軟に対応してこられました。これからの地域や業界にとって、どんな存在であってほしいですか。
とみやさんは、まさに情報や人が集まる「集積地」だと思います。時代が変わっても、職人たちの声に応え続けてきた経験とネットワークがある。これからも地域のハブとして、業界や世代をつなぐ役割を担っていってほしいです。とみやさんの「次の一手」に大いに期待しています。
上之段勝雄(うえのだん・かつお)|株式会社上之段建設 3代目代表取締役社長
父親が創業した上之段建設の3代目。大学卒業後、東京の建設会社に勤務し、一級建築士の資格を取得。その後父親の呼びかけで地元・鹿屋に戻り、上之段建設に入社。2代目社長であった兄の後を継ぎ、令和4年より現職に就任。
「モノの時代から風の時代へ」という考えを持ち、情報や人とのつながり、コミュニケーションを重視する経営者。技術屋として「道具は仕事の要」という信念を持ち、プロ仕様の道具を扱う「とみや」に長年厚い信頼を寄せている。
とみやの営業部スタッフの一人、永岡竜海さん。地元・鹿屋に戻り、営業として地域に貢献する道を選んだ彼が語る、お客様の声に真摯に向き合い、地域の課題解決に取り組む姿勢とは?「営業は地域の町医者」という言葉に込められた想いをお届けします。
家づくり・土木作業のプロとして地域の暮らしに向き合い、鹿屋のまちづくり・活性化にもさまざまな想いをお持ちの上之段勝雄(うえのだん・かつお)さん。とみやと共に歩んできた歴史や、地域の課題解決として取り組む空き家の活用、そしてこれからの地域コミュニティづくりについてお話を伺いました。
産業用資材の専門商社として、多岐にわたる分野の商品ラインナップを誇る「株式会社シバタ」。鹿児島営業所で営業課長を務める田尻紘介さんは、「とみやは地域のニーズに応え続けている実力派小売店」と評します。パティシエから転身して17年、とみやとの取引を通じて感じた魅力と今後の展望について語っていただきました。